MODERN MAN - IN CONVERSATION WITH GLENN KITSON

さも「公園を散歩する」ような感覚を呼び起こされるグレン・キットソンとの会話。グレンは2014年来の友人で、私にとってはまるで公園を散歩するように、気張らず自然に、会話が運ぶ特別な相手です。共に日焼けが苦手なイングランド北部のクリエイティブな種族の私たちは、ジャケット愛や、古雑誌へのこだわり、またお互いに現行の政治に意見するのが好きなことから、至って自然に意気投合しました。2022年になってもこの関係は変わりませんが、映像製作者としてのキャリアを順調に進めるなかでいつの間にか、グレンはその一挙手一投足を世界中からフォローされるようになり、国際的に広く知られたミームリーダーへ。メンズウェアの愛好家としても知られるようになりました。

彼は出会った当初から、スタジオニコルソンを知り尽くすブランドの忠実なサポーターでした。スタジオニコルソンの遊び心あふれる数々のシルエットは彼の性格によく合っているし、90年代の要素が常にあちらこちらに散りばめられているスタジオニコルソンのスタイルは、彼の文化的な背景ととても相性がいいのです。エレガンスと強いアティテュードが1つの大きなモジュラーワードローブとしてまとめられたスタジオニコルソンは、グレンや私のような人間が自由にパーツを選んでミックスできるようにデザインされています。私は、このワードローブのシステムこそが私たちの若さを保つ唯一の方法だと信じていますが、キットソンも同意見です。

"Coats are the first thing people see about you, so it’s not just armour - it’s your first line of psychic defence"

今回、私とキットソンが蜜月なそぞろ歩きの舞台として選んだのは、ロンドン南部にあるクリスタル・パレス・パーク。秋の終わりを迎えたこの日のロンドンは、気候の変化が顕著で、すでに冬らしい空気が漂っていました。かつて私たちはお互いこのパークの側に住んでいました。今はグレンがまだこの辺を拠点としていることもあって、2人とも馴染みのあるスポーツセンターまで足を伸ばして、今回同行する写真家のジュヌヴィエーヴに、彼女らしい硬質でモダンな背景のなかで、グレンとの特別な時間を写真に収めてもらおうと考えたのです。

私たち2人の会話は、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)とハル生まれの彼の相棒、ミック・ロンソン(Mick Ronson)についての、私の経験談から切り出されました。「私の父はピンク色の服を着るのに未だに激しい抵抗を感じるようだけど、1970年代のおおかた、父とその仲間たちはロンソンとボウイに影響を受けて、4インチのプラットフォームブーツに、クロップドレザーのボンバージャケット、フレアパンツでハルの中心街をふらふらしながら過ごした記憶はどこへやら。彼らの大掛かりなヘアセットには、ファラ・フォーセット(Farrah
Fawcett)に負けないくらいのパワフルなドライヤーも必須だったでしょう。」こうして、私の父への批評から、「色」に対する偽善的な姿勢について話は広がりました。

華やかさや色使いについて、自分なりの特別な考えを持つ、グレン。発色の良い黄色のゴアテックスを着ていた彼を、かつて私がいじったことを振り返りながら「グレン、そんなコートを着るには、あなた自身が色を多く'抱えすぎている人間じゃないかしら'と言い放ったことを君は覚えていますか。」と彼に指摘されました。「君は正しかったね。僕も最近はベージュ系の服を良く選ぶんだ。そこにブラウンやブルー、それに少し白も差す。僕の肌は日焼けしやすいこともあって、日々の服や着こなしについて考えを巡らせるなかで、僕が一年を通して最も好きな季節は、極端な天候が続く時期だと気づいたんだ。」

"He doesn’t agonise about his choices - he sticks to his tried and tested formula"

そしてこう打ち明けてくれました。「僕は、夏や冬に気候に合わせて服を選ぶというシンプルなスタイリングが好きで、短パンを履くには茹だるような暑さが必要だし、大振りのコートを着るには凍えるような寒さが必要だと思う。その中間が難しいように感じて、実は春と秋は少しバランスを崩すこともあります。」

グレンは撮影現場で映画をディレクションしている時も、自宅のソファでミームを作っている時も変わらず、キットソン特有ともいうべき、彼だけのドレスコードを守っています。脚を露出させたルックに、ボストン型のスエードのビルケンシュトックと厚手の靴下を合わせていても、決して「頑張っている」ように見えない数少ない男性の1人、それがグレン・キットソン。そうは言っても、散歩の合間に撮影を進めるため、クリスタル・パレス・ボウル(素晴らしい建築物で愛称は「錆びたノートパソコン」)へ向かう道すがら、ぬかるんだ芝生を歩こうと私が引率しようとすると、彼は「真新しいスニーカーを泥だらけにしたくない」とかなり強気に守りに入ることもありました。そんなこだわりを持ちあわせているのも事実です。しばらくしてグレンの新しい靴は未だ無傷のまま、写真を何カットか撮り終えたのち、私たちは散歩の小道に戻りました。そこで私は、彼が若いころ最初に影響を受けたスタイルについて聞きました。1970年代生まれとして、またレイブシーンを体験してきたティーンエイジャーとして、私たちはお互いに数多くの経験を共有しています。今時どんなにクリーンな生活を送るようになったところで、1990年代初頭の世界を「体験」してきた多くの人達と同じく、「バギー」な服に惹かれるのは決して避けられないこと。

グレンはこう続けます。「かつて僕は1980年代後半に登場したシピー(Chipie)スタイルに惹かれていたんです。当時は高価で手に届きませんでしたが、だからといって、似たような形、生地、色のものを探すことをやめられなかった。当時はアシッドハウスと1960年代のギターを少し取り入れたバレアリック(Balearic)ダンスが流行。サンテティエンヌ(St.
Etienne)のようなバンドが、ダンス、ギター、サイケデリックのベン図を描くように、これらのシーンの良い部分をすべてまとめあげていました。それは、バーズ(The Byrds)のメンバーが本格的なアウトドアグッズを身につけているようなイメージで、当時は僕もそのスタイルを目指していました。」

"Elegance and attitude are all rolled up into one big modular wardrobe, designed for people like Glenn and myself to play pick + mix with"

「当時はレイバーもサッカーファンも、寒さや雨の中で耐えながら過ごすことが多かったので、スタイルを仕上げるにあたってテクニカルなアウターウェアを重ね着することは不可欠。ボルトンの若者が発した次の一言は強く心に残っています。‘コートはワードローブの中で最も重要なアイテムだから、常に良いものを身につけるように’と。それ以来、たとえ年に1着しか買えないとしても、できる限り高価なコートを手に入れるように心がけています。コートは人の目に触れる最初のアイテム。あなたの人となりを強調する鎧としての立ち位置を超えて、コートは着る人の精神を守るため、最前線で戦う歩兵なんです。」

グレンは歳を重ねるたびに、朝のスタイリングが楽に感じられるようになっていると打ち明けてくれました。彼は今では自分が本当に好きなものを熟知していて、驚きの速さでコーディネートを完成させることができるのです。一度こうと決めたスタイルについて思い悩むことはありません。試行錯誤を繰り返してきた結果の、自分のスタイルを貫いているからです。彼がポートレートの撮影のためにスマートにポーズを決めているとき、私が何気なく足もとに目をやると、彼の型にはまらない強気な外股の姿勢に気がつきました。私たちはそのことについてお互いに笑い合いながら、「猫にはとても優しそうだけれど、決して動物に舐められないような」グレンの独特な表情について私が説明する流れに。

彼は相槌を打つように「お世辞抜きで、この性格は遺伝したものだと思う」と語ってくれました。彼の祖父ロニー・ブリューワーもボルトン出身。ロニーは、洒落たルックと皮肉なウィットを持ち合わせた人物だったそうです。グレンはある日、ロニーの車の後部座席に座っていて、警察に止められたことをこう振り返りました「警官から "このタイヤを最後に点検したのはいつだ?"と聞かれたとき、祖父が "今朝、ガレージを開けたときだ!"って、自信満々ににやにやしながら答えたのを僕はまだ小さいながら憶えているよ。」

キットソンのトレードマークの笑顔としかめっ面を組み合わせて、ユーモラスに語られたこの逸話は、私たちのこの日の短い旅を締めくくるのにまさにふさわしいものでした。「リンゴは自分の木からそう離れたところには、決して落ちない」という言葉があるように、グレンの魅力的な人格とそのスタイルはなるべくして自然に完成したもの、と言えるでしょう。