セントラル・セント・マーチンズをチャリング・クロス通りからキングス・クロスへ移転させたのはまさに英断だったと言えるでしょう。この移転によって、クリエイティブな精神や若者達が街の中心部に集中することになりましたが、リグ・アウトもここで、キングス・クロスパートナーシップと共に、ロンドンと、この街の進歩を支えるクリエイティビティにフォーカスした雑誌『Kiosk』を立ち上げました。創刊号には、スタジオニコルソンの創設者であるニック・ウェイクマンが登場します。
スタジオニコルソンの本社は、文化財として英国政府による保全の対象となる、イギリス指定建造物2級の建物の1階を拠点としています。ロンドン中心部の一角に佇むビクトリア様式のこの建物は、かつて検死官裁判所として機能していました。白塗りのレンガの壁や、むき出しの配管、寄木張りの床に囲まれ、太陽の光が大きな窓から燦々と降り注ぐこのスペースは、ニック・ウェイクマンが独自のコレクションを生み出すための、まさに理想的な場と言えるでしょう。
チェルシー・スクール・オブ・アートのテキスタイル・デザイン科を修了するやいなや新規一点、ウェークマンは荷物をまとめてイタリアへ渡ります。ここで彼女は、ディーゼルに入社。プリントとグラフィックを専門に扱うデザイナーとして活躍します。3年後イギリスに舞い戻ったウェイクマンは、イギリスの小売大手、マークス&スペンサーのメンズウェアチームに所属し、服の素材やフィット感などから、顧客や販売戦略にいたるまで多様なことを学びます。これらの経験を武器に、様々なリスクを計算したうえで、彼女は初の大きな勝負に出ます。サイラス & マリアやヒステリックグラマーなどのインディーズレーベルを取り扱う自身の店舗を、ノッティングヒルに構えるのです。ウェイクマンはこう振り返ります。「90年代後半から2000年初頭にかけて、この店は日本の若者たちのメッカとなりました。彼らの多くが両親から貰った貴重なお金の投入先として、ここが最高のアドレスと考えてくれていたのでしょう。残念ながら今は大資本に押され気味ですが、当時のノッティングヒルは、若くて活気あるクリエイティビティに満ち溢れていました。ここでの経験から、日本のビームスと組んで、バーディーというブランドを立ち上げることにしました。9年に渡って成功した末、このブランドを閉じる判断を下しましたが、その後の2年間の休暇を経て、スタジオニコルソンのためのプランを考案し始めたのです。」
2010年に立ち上げたスタジオニコルソンは、日々の装いをストレスフルなものとしてではなく、楽しくするためのポジティブな要素として徹底的に研究した結果、生まれたブランドです。幼い頃、常におてんばだったというウェイクマン。仕立て屋だった彼女の母親はデニムのダンガリーシャツを得意としていて、頻繁に縫ってくれていましたが、洗濯すると縮んでしまうことがよくあったといいます。「この経験は確実に、私の服に対する価値観の形成に一役買ったといえるでしょう。母は私がとても幼い頃から、ほとんどすべての服を作ってくれました。二人で買い物に出て生地を選び、家で一緒にパターンをひく。あの時、一緒に作った数々の服の独特なシルエットが、スタジオニコルソンのコンセプトに大きな影響を及ぼしているのは間違いないでしょう。」
2年間の休暇も、実はとても実りある経験になったという。デザインという本業から離れ、自分にとって心地よいリズムでライフスタイルを再構築して、新しいブランドの基礎作りに取り組むこともできた。
「あの時は、自分の人生の次のステップがどのようなものになるかを、改めて深く考えてみたかったんです。自分でもライフプランニングそのものが大好きなことは自覚していますが、単にそれだけには留まりませんでしたね。この休暇の間に私自身が大きな変化を遂げることで、その気持ちがそのまま私の作りたいと考える服にも反映されて、ものづくりが飛躍すると、あの時確信していたんです。そこで、ファッション業界で働く友人や信頼できる重鎮達に話を聞き、今店頭に何が足らないのかを理解しようとしました。それらの情報をもとに、自宅に戻り、自分のワードローブを眺めて、私自身のスタイルの核となるような、そんなアイテム達と改めて向き合うことになったのです。メンズのシャツ、デニムやニットなど、自分にフィットするように仕立てられた様々なものがそこに並んでいました。答えは目の前にあったのです。多忙なライフスタイルを送る女性達に向けて、シンプルで精密にカットされ、完成度の高いアイテムで構成された、モジュラー・ワードローブを作るべきなのだ、という考えをそこで固めました。当初から重要視したのは、着やすい服であること、品質の良い服であること、そして入手しやすい服であること、という三つの基本的な要素でした。マーケットには、私とまったく同じものを求めている女性たちが密かに数多く存在していることが、直感的にわかったのです。」
スタジオニコルソンの服はとてもシックな印象で、同時に遊び心もあり、本質的に若々しく見えるバランスで作られています。洗練されたラグジュアリーな雰囲気を醸し出しながら、アンドロジナスな美学を追求する。この二つの要素を両立させるのは並大抵のことではありませんが、ウェークマンはブランドの進化のために日々努力し、スタジオニコルソンらしいパターンやシルエットを毎シーズン微妙に改良して、今か今かと待ち受ける顧客達の要望に、真摯に応えています。
ネイビーや、カーキ、サマー・スカイ・ブルー、ホワイト、クリーム、ブラック、グレーなどの色味に、あえてカラーパレットを意識的に限定することで、複数シーズンのアイテムを容易に組み合わせられるようにしています。こうして、レイヤリングに適した配慮が随所に施されています。ニットや繊細なファブリックを使ったカテゴリーに時折登場する、エネルギッシュな色の爆発は、このような安定したスタイルがあってこそのものです。ウェイクマンが体現しているのは、控えめで無理をしない、モダンな装いのための方程式。全てのコレクションを通して、まるでそんなピュアな公式を見ているようです。
この6年間で、レディスウェアを取り巻く環境は大きく変わりました。ウェイクマンもそれを実感しています。「ここ1年ぐらいで、突如ファッションの市場が、乱立するミニマリストブランドで完全に飽和してしまったことを、最大の挑戦と捉えています。スタジオニコルソンが立ち上がった当時は、セリーヌかマーガレット・ハウエルくらいしかいませんでしたが、いまや若いデザイナーたちがこぞってミニマルなスタイルをとっています。そんななか、クリーンなルックを発表する他の多くのブランドと私たちの違いは何か、深く考えなければなりませんでした。顧客が私たちに託しているのは、22年間に及ぶこの業界での私自身の経験に寄せる信頼、だと思います。デザインや、ものづくり、ビジネスでの経験がもたらす知識の集大成こそが、私たちに求められていることの核心なのでしょう。そしてこの知識の集大成が、私の作る服そのものに表現されているのだと、信じています」。
ウェイクマンはその上質な素材へのこだわりで、広く知られていますが、賢い生産体制を組んで、イタリア、ポルトガル、イギリスや、時折日本でものづくりを行うことで、コスト面を補っています。こうして、ウェイクマンがブランドの美学を表現するために長年共に活動してきたスキルの高い専門家達によって編み出されるアイテムは、公正な価格を保ちつつ、常に彼女が目指す完璧なフィット感と仕上がりで、完成します。
ウェイクマンにとって旅は欠かせません。「私は日本にいても、ロンドンにいる時と同じようにくつろげます。日々を生き抜くために、私が必須と考える要素は、ある程度の秩序立った空間と自分だけの領域です。その二つを可能にしてくれる場は日本と、もう一箇所、私が心地良いと感じるカリフォルニアでしょう。建築は、私がデザインをする上で強いインスピレーション源となります。東京もアメリカ西海岸も、建築を存分に味わうには最適な場所ですね。ノッティングヒルについて先述したような、富の流入によって、クリエイターが追い出されるようなことが、もしここ東ロンドンでも起こり始めたら、私は数年のうちに出て行くことを考えるかもしれません。例えば、東京へ移住して、さらに身近なスタジオニコルソン、メイド・イン・ジャパンのラインを展開することも真剣に考えるでしょう。」
ただ今のところまだ、彼女の関心はロンドンにあるようです。ここでクリエイティブ・ディレクターとしての役目を穏やかにこなせるのは、8年間続けているヨガのおかげだと言います。「活性化した脳をスローダウンさせて、体を本来あるべき状態に持って行ってくれるのが、ヨガなんです。スタジオでは、良く午後4時ごろに逆立ちをします。血流を逆流させて、副腎を刺激し、心臓に酸素を送り込むんです。毎日午後7時頃には仕事を終えて、夜は赤ん坊のように良く眠ります」。
ウェイクマンの日々の努力とその仕事っぷりは、ステジオニコルソンのブランドとしての成長を加速させています。新しいメンズウェアを含むコレクションの拡大と、新店舗のオープンを視野に入れて、日々前進しています。
ウェイクマンは、自分が選んだ道が決して楽な道ではなかったという事実を認め、こう続けます。「私は、負けを認めない人を尊敬します。私もこのビジネスを成功させるために、ブランドを立ち上げてからの6年間、特に自分の時間を犠牲にしてきました。必要なときには、つまりそれはほとんどの時間ですが、私は仕事をしています。ただ同時に、メリハリをつけて余った時間では仕事モードから完全にスイッチを切るのも得意です。厳しい道を選びましたが、自分の作品に完全に満足しているクリエイターを私は他に知らないですし、厳しいですが、その点は他のクリエイターとも共感できます。私は、プレッシャーや締め切りに強いですし、闘争心もあります。こう在らねばならないということも知っています。私もチームも、まさにこれからが楽しみです。
文・リアンヌ・クラウズデール