ニック・ウェイクマン:ファッション、インテリア、建築。これらはすべて外界から身を守る究極のかたちだと思います。そしてまた、それらは表現とアイデンティティ、つまり自分自身が作者になってつくりあげる世界でもあります。私たちは服を着るとき、少なくとも私は、あるアイデンティティを想定します。特に男性は、映画にでてくるキャラクターや自分自身のノスタルジックな面だったり、自分がどのような人物かを頭に浮かべながら装ったりします。私もまったく同じで、おそらくいつもメンズウェアを着ているからでしょう– メンズシャツにジャケット、そしてリーバイスが私の定番アイテムです。
こうしてスタジオニコルソンは10年前にはじまりました。日本で立ち上げたブランドを売却したあとしばらく時間を取り、次のアイデアを探して自分のワードローブを見てみたんです。すると、それは全部目の前にありました:からだにフィットするように仕立て直した、ボクシーで構造化されていないメンズウェアが。
もうひとつの大きな影響は、20年前はじめて東京に行ったことで、私自身の美学とデザインアプローチの形成に影響を与えました。1990年代の薄汚れたロンドンから来た私にとって、東京はすべてが秩序だった都市に見え、まるで1960年代もしくは1970年代のような印象を受けました。色調がベージュとブラウンの同系色で統一されていたのにはとても驚きました。ロンドンのような喧騒さもありませんでした。私自身、喧噪さは一度だって好きだと思ったことはありません。東京では、誰もがロゴのないミニマルなストリートウェアと、たくさんのレイヤー、そして素晴らしいファブリックを身に着けていました。とても対照的な光景で、この日本への旅は私の活動全体に影響を及ぼしました。
今は、もちろん、みんながみんな同じようなことができます。誰でもInstagramアカウントを始めて格好つけることができる。けれども、オーセンティシティは一夜にして手に入れることはできないと思います。文化は買うものではなくて体験するもの、時間をかけて収集したり理解されるものです。インテリアにも同じことが言えて、家はInstagramのためにしつらえるべきではないと思っています。良い家とは、感情的に必要なものを提供し、あなたをサポートする家です。私にとって空間は何よりも大切なもの。インテリアは服をつくるのと同じで、本当に良い素材を使えばそのままでいいんです。パンツを快適にしたり、家を住みやすくしたりするのは、何かを足すことではありません。家のためにものを買うことがストレスなのではなく、ただ買わないだけ。そして、持っているものは目立たないように。それぞれに馴染んで、背景になるようなものがいいんです。植物は好きだけど、花は気持ち悪く感じてしまって。正直嫌いです。最近、日本でつくった新しいコレクションのローンチイベントがあったのですが、会場の人に『イベントで使った花があまっているから、ここに置いておくよ』と言われ、私はすかさず『ダメ!すぐ持って行って!』と。花にはたくさんの要素があって、気が散ってしまうし慌ただしく感じられるんですよね。
私の家は、仕事場とは全く対照的で、絶対的な避難場所なんです。スタジオからは何も、パソコンすらも持ち込みません。ピースフルでで穏やかでなくてはいけないから。勤務時間を守ることは得意なほうなのですが– スタジオのスタッフは皆、朝9時半に出社し夕方6時には退社します – 私がいるときは仕事がとても忙しくなります。経営者として、仕事のドアを閉めて、仕事中ほど華やかではない本当の自分になれることはとても重要だと思います。最近、同僚が私に言ったんです、いつか家バージョンの私をスタジオのソファに寝かせて、本当の私の姿を皆に見せたいと。彼女はそんなにクールではないし、スポーツウェアをいつも着ているわけでもないし、基本的に寝転がっているのが好きなタイプなんです。
何年もウェストロンドンに住んでいました。最初は学校、それからクイーンズパークの小さなビクトリア調の家。そうして自分は部屋が好きではないことに気が付きました。すべてが開放的なこのスペースは、私らしさであり、私の生き方です。イーストエリアに来てみると、ウェストロンドンに本物のクリエイティブシーンがあった20数年前が思い起こされます。別れを告げるのはとても辛かった、なぜなら私の友人のほとんどはそこにいたし、ここで新たに友情を築かなければならなかったから。ロンドンのなかの別の場所にすぎず、6マイルしか離れていないのですが、とても遠くに感じます。
今はイーストエリアがとても好きです。でも、ここではひとりの年長者になったような気がします。私は今でも4WDを運転するし、メイクもするので、この街にぴったりフィットしているかどうかは分かりません。ただ、新たな意欲が湧いてきて、歩きまわるだけで元気が出てくるんです。私にとってはストリートカルチャーがすべてで、インスピレーションの源になっています。ハックニーロードをボンデージパンツとウィッグで渡る男性を見るなら…たぶんペッカムに行き着くでしょう。
私は人間観察をすることが大好きで、ついついじっと見入ってしまいます。例えばニューヨークに滞在するとなったら、滞在を数日間のばして街で何が起こっているかをじっくり観察します。重要視するのは、人々がどのようにファッションを解釈してストリートに落とし込んでいるかということ。特に、自分のスタイルを持っている女性を見るととても素晴らしい気持ちになります。そしてもうひとつ、若者がどのように実験しているかを観察するのも好きです。それについてはロンドンがとても好きです。もちろん他の都市でも同様のことは見受けられますが、ここロンドンでは文化的な層が厚く、他の都市には見られないユーモアのセンスがあります。東京では人々の着こなしにユーモアは感じられませんが、一方で私たちはそのことで知られています。私たちは、ランウェイにクレイジーなものを送り込んでいますから。
ロンドン郊外に家を持つというアイデアは本当に魅力的です。場所はまだ決めていませんが、それに備えて準備をしているところです。問題は、私はイギリスの田舎が特段好きというわけではないということ– 田舎はとてもさびしく感じるから。たくさんの友人を引き連れて、Essoのガレージに牛乳を買いに行ったり、日曜日にヨークシャープディングを作ったりすることを想像するだけで、なんだか疲れ果ててしまいます。まったくシックじゃないんです。
太陽が好きなので、もしもどこでも買えるとしたら、毎年夏に行くギリシャのパトモス島を選びます。とても遠いし、そこで十分な時間を過ごすだけのライフスタイルはまだ整っていないんですけどね。
当然、The Modern Houseのウェブサイトを何時間も見ながら、1960年代の家について空想しています。もしここを買うならこんな感じ、といった具合にね。それか、空間をデザインする時間を見つけたいです、洋服をデザインするのと同じように。私にとってモダニティとは、境界線を押し広げること、先進的であること、そして実験的であることです。仕事と洋服という文脈で考えると、新しいことや違ったことをする、驚きの要素も重要です。例えるなら足首やひざの下にポケットをつけてみること。それは機能的でも便利でもないかも知れないけれど、意外性があります。そして「ここに何を入れるんだろう?」と、考えさせてくれます。
家や建築も同じだと思うんです。もしリノベーションしたり、何かを建てるなら、どうしたらまったく新しいものやモダンなものを作れるかを真剣に考えるでしょう。ギミックという意味ではなくて。日本人は、機能的かつモジュール式の生活空間をデザインするのが得意ですね。おそらく現代の生活には最適でしょう。そして私たちの側から考えがちなトラディショナルな家は、それほど機能的でもモダンでもないのかもしれません。どうして階段がドアの真正面にあるのか、など。デザイナーの魔法は、なにかを変えたとき、でもどこか馴染みがある、もしくは全く見慣れないと感じさせないことではないでしょうか。そこが驚きの要素が重要なところでもあります。きっと私にとってのモダニティはそこなんだと思います。